貧乏エンジニア漫遊記

大手造船会社エンジニアが世界を股に掛けた、面白奮闘記です!

1.地中海編(1)

管理職の求人ならリクナビNEXT

貧乏エンジニア漫遊記
地中海編(1)

1973年、大西洋でタンカーに乗り、ジブラルタル海峡を抜け、北アフリカ沖を通り、シシリー島に上陸、ローマ経由で帰国した。以下はその時の話。

或る北欧船主のタンカーで事故が発生し調査を依頼された。そのタンカーはアラビア海から希望峰を回り、ヨーロッパへ帰る途中であった。船待ちのため、大西洋の真ん中のカナリヤ群島へ行った。船が来るまで数日かかるという。カナリヤ群島の首府ラスパルマスはヨーロッパ人垂涎のリゾート地だ。まずホテルの庭で驚いた。超大型の「松葉ぼたん」がビッシリ生えているのだ。葉は蒼白く、鹿角状になっている。この種類は、日本では、一株千円はするはずだ。10cm平方に一芽あるとして、ザッと計算して1億円はくだらない。もっともそれだけの株が一度に売り出されると、只同然になってしまうだろう。水泳は仕放題。ここでの数日は我が人生最良の日々ではあった。

しかし良い事は長くは続かない。タグボートは値段が高くつくのでヘリコプターでタンカーへ行けという指令が日本からきた。真夜中にヘリコプターで船に乗り移れというのだ。船は止まってくれない。縄ばしごにぶら下がりながら甲板に飛び降りなければならない。船の速度は15ノット。ヘリコプターはそれに合わせて近づいていく。揺れる縄ばしごから手を放すのは恐かった。この時ばかりは横着者の私も真剣に祈った。

さて仕事は1日で終わった。保険屋を納得させる資料さえつくればよいのだ。タンカーの目的地のシシリー島につくまで他にすることもない。船長が気を利かして厨房の冷蔵庫の鍵を渡してくれた。ビールを好きなだけ飲んでくれという。これが実は悪魔の誘いだった。私がビールを無尽蔵に飲めると知って、にわか友人の船員達が、当直が開けるごとに入れ替わり立ち替りやってくる。手ぶらでは悪いと思ってか肴をもってくる。つまり一週間続けて、日に三度、北欧の大柄な船員を相手に大酒盛りをやったのだ。ジブラルタル海峡から地中海に入った頃には、完全に出来上がっていた。右手には遠くアフリカの海岸がみえる。ヘミングウェイの「老人と海」の老人のように意識朦朧でライオンの姿をさがした。正気で考えれば、カルタゴの昔から文明の開けているあたりにライオンなどいるはずもない。数日飲み続けて、シシリー島のオーガスタについた。

シシリー島は、現在はマフィアの故郷で有名だが、13世紀には神聖ローマ皇帝フレデリック2世という人物が出た。あだ名だけでも凄い、「最初の現代人」、「世界の驚異」、「語学の超天才」、「ド近眼のバチ当たりの赤ら顔」、「戦嫌いのエルサレム王」等々である。ローマ法王の破門を3度も受けたが何処吹く風だった。こんな人物を生んだ風土に興味があった。ところがこの島は輝く楽園としか言いようがない。富士山に負けぬエトナ山があり、平野は一望オレンジ畑、所々にギリシャ時代の遺跡がある。それらの全てが太陽を満喫しているのだ。その中を、またビールをラッパ飲みしながら、第2次世界大戦でパットン戦車団の通った道をたどって空港についた。12月24日の夕刻である。

それからSASでローマ経由の南回りで帰国したのだが、これがまた幸運だった。クリスマスのせいで、乗客が数人しか乗っておらず、クリスマス用のヴィンテージのシャンペンが希望するだけ出てくるのだ。しかも別嬪のスチュワデスがフルに相手をしてくれる。

さて帰国して、翌日、道具収めの日に出社した。ところが門を入ったところで脇腹に鈍痛が走り、失神して病院に担ぎ込まれた。医師は難しい病名を言ったが、問診に立ち会った看護婦さんは「フフン、急性アルコール中毒後遺症ですネ」と笑った。その日のうちに退院はできたが、正月は酒を厳禁され、完全な寝正月だった。

 

公開日:
最終更新日:2017/05/01


Message