貧乏エンジニア漫遊記

大手造船会社エンジニアが世界を股に掛けた、面白奮闘記です!

10.インド編(1)

管理職の求人ならリクナビNEXT

貧乏エンジニア漫遊記
イ ン ド 編 (1) 
 

1966年9月、インドに初めて出張した。この頃はインド航空もサービスが良かった。出発前に乗客一同の記念写真を撮り、赤道通過証を添えて留守宅に送ってくれたものだ。機体に乗り込むと、カレーの匂いがムッとする。航続距離が短いので幾度も給油に降りる。ぐったり疲れてボンベイに着いた。

空港を出ると子供達がワッと寄って来る。「パイサモンタイ」と口々に叫ぶ。パイサとは一銭のこと。モンタイとは「欲しい」の意味だと云う。子供たちの服は海草のようにボロボロだ。また空港からホテルまで、夥しい人間が軒下に横たわっている。朝、働き口のなかった者は終日動かないらしい。 これを見て、終戦直後の自分を思い出した。私は小学校一年生の時、台湾で終戦を迎えた。内地では、戦争中すでに物資が欠乏し始めていたらしいが、台湾では米も砂糖もふんだんにあった。それが引揚げてきた瞬間、いきなり飢餓に突き落とされたわけだ。公務員だった父に職は見つからない。小学校の給食費も払えない時があった。払いたくても、家に金が無い。子供心にも家の経済状態が分っているので母に言い出せない。先生の前で給食費を忘れた振りをするのは苦痛だった。そのような極貧経験者の私にも、インドの底辺層の貧しさは、想像を絶していた。

翌日、現地人運転手のデサイ君が迎えに来てくれる。冷房なしの自動車で工事現場へ向かった。暑さにうだりながら、ふっと街路樹を見上げると5,6匹の猿がいる。手長で白色、鼻の先だけが黒い。街路樹はマンゴーだ。マンゴーの種類は多いが、このマンゴーは大木にはなるが、実は食えないと云う。猿はその実を食っている。自動車を止めてそれを眺めていると、バサッと後ろで音がした。振り返ると孔雀だ。なんで野生の手長猿や孔雀が道端にいるのだ。不審顔の私を見て、デサイ君は「これがインドだ」という。さすがに不殺生の国だと感心した。デサイ君によると牛、猿、孔雀などの生き物はインドの非能率の象徴だという。運転手の彼には、道路上の生き物は障害物以外の何物でもないらしい。

一服していると、ロバの尻を叩きながら10才ほどの少年が通りすぎる。そこへ九官鳥に似た小鳥が地上をチョンチョンとやって来た。最初はロバの背に、続いて少年の肩に数秒とまってパッと飛んで行った。これには感激した。日本で野生の小鳥が子供の肩にとまるだろうか。ここに一人の働いている少年がいる。給食費どころか、学校にも行かせてもらえない。しかしその少年の肩に小鳥がとまる。少年の顔に屈託はない。貧乏とは何か、また幸福とは何かを考えさせられた一瞬だった。
工事現場に入って数週間たった或る日、灼熱の作業場から冷房の利いた事務所に戻って一息入れた。先ほど飲んだ紅茶のカップが机の上にそのまま残っている。いつの間にかカップにヒビが入っている。よくよく見るとヒビではなく、極小のアメ色の蟻の行列なのだ。さらによく見ると、その行列は机の上から脚を通り、床を這い、壁を登り、窓枠に達している。思わず机の上を払って床を踏みにじった。すると、いきなり何かが背後からぶつかって来た。振り返ると、事務所で雇っていた茶汲みボーイのパテル君である。
「旦那、止めて。蟻を殺すのは止めて」
私の腰にしがみついてパテル君は叫ぶ。無意識に一匹の蟻を踏んでも罪になる。まして故意に蟻の行列を踏みにじるとは何事か。どうもそう云う事らしい。目下の少年に叱られたわけだが、この時は腹が立たなかった。むしろインド人の不殺生の精神に感動した。

私のいた工事現場はグジャラート州のバローダ市の郊外にあった。この町は伝統のある学術都市である。この州では飲酒と賭博は禁止だ。飲み屋もパチンコ屋もない。一方女子学生なども出入りする喫茶店が多くある。週に一度町に出ると、やむなく喫茶店でお茶を濁すことになる。 さて皆さん。紅茶の本場のインド人はどうやって紅茶を飲むかご存知か。33年前に私が観察したことをお聞き頂きたい。 まず三々五々女の子が喫茶店に入ってくる。テーブルの前に座る。紅茶がカップに入って出てくる。女の子はカップを持ち上げる。ここまでは日本と変わらない。つぎにカップを傾け、紅茶を受け皿に注ぎ、受け皿から紅茶をすすりだすのだ。後から知った事だが、受け皿から茶を飲む習慣はインドに限らず中央アジアからスカンジナビア半島にまで広がっていたらしい。現在は、インド人も欧米のテレビや映画の影響で、カップから直接飲んでいるかも知れない。

公開日:
最終更新日:2017/05/01


Message