貧乏エンジニア漫遊記

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19.シンガポール編(2)

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シンガポール編(2)

シンガポール全体の面積は淡路島ほどだが、中央に丘がある。かって日本軍が英軍と覇を争ったブキティマ高地だ。登り始めると蝉の声がかまびすしい。日本の蝉よりも1オクターブ高い。カーンカーンと聞こえる。木々はほとんどが照葉樹だ。ソテツ類がわずかに混じる。小道が縦横に走っており、結構起伏がある。一本の小道の脇に窪みがあり、その奥にボロボロの鉄兜があった。平鉢型の英軍のものではなく、どう見ても旧日本軍のものだ。戦後40年間、放置されていたのだろうか。周りにコオロギが4、5匹いる。芭蕉の「むざんやな 兜の下のきりぎりす」の一句が胸に浮かんだ。この時ばかりは粛然とした。

頂上からは貯水池が見える。確かに、北方の貯水池とブキティマ高地を抑えられると水の手が絶たれる。兵員的には優勢な英軍が戦意を失ったのも無理はない。マレー沖海戦からシンガポール攻略までの日本軍の活躍は鮮やかだったが、占領後の華僑対策でミソをつけた。華僑によると日本軍は華僑を数万人虐殺したという。昨今のパレスチナとイスラエルの紛争で、パレスチナ民間人の死傷数の推定値が両者で十倍違う。被害者側は恐怖の下で犠牲者を数える。シンガポールの華僑の死者の実数は数千といったところだろう。しかし数千なら許されるというものでもない。

中国戦線の南京虐殺の場合は、敵兵が民衆の中に溶け込み民衆を盾としたのが原因となった。一方シンガポールでは、無抵抗の華僑を恐怖で痺れさせようとしてやったようで、日本軍に一分の理もない。現在の大きなプロジェクトでは、延べ工数が数万(人*日)に及ぶ場合があり、工事責任者は、かっての日本軍の仕打ちが華人の間に語り継がれていることを自覚していなければならない。

さて、日本軍のことだが、戦死者の碑がセラングーンの日本人墓地の中にある。日本人墓地自体が小さい、日本の都会の小寺の墓地程度しかない。戦没者の碑は、その入り口近くにある。その碑の大きさたるや小学校の忠魂碑と同程度のものだ。一方、クランジにある英軍の戦没者の墓地は、一つの丘陵斜面を占め、眺望もよく、戦死者全員の名を刻んだ碑もあり堂々としている。勝敗の差と言えなくもないが、彼我の違いはあまりにも大きい。

また、日本人墓地には、カラユキさんの饅頭石墓も並んでいる。カラユキさんは、山崎朋子著「サンダカン八番娼館」に出てくる北ボルネオが有名だが、シンガポールにも多くいた。九州出身の彼女達の心境、居るも地獄帰るも地獄、を苔むした饅頭石が示している。数列に並んだ饅頭石の前に立つと絶句してしまう。シンガポールには日本人ツアーも多く行くが、日本人墓地を訪れるものは極めて少ないと言う。現地の日本人会が、現地人を一人雇って、細々と管理している。

公開日:
最終更新日:2016/03/08


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