貧乏エンジニア漫遊記

大手造船会社エンジニアが世界を股に掛けた、面白奮闘記です!

20.シンガポール編(3)

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シンガポール編(3)
シンガポールの歴史は眼鏡の歴史である。40年前はメガネを掛けた者はほとんどいなかった。最近ではシンガポール人は日本人以上に眼鏡を掛けている。カメラも日本と同じ位普及している。男の髪型も日本人と変らない。格段に英語もうまくなった。昔は中国式英語がほとんどだった。文章の終わりに「ラ」「マ」をよくつけた。例えば次のように。
OKマ ・・・・ 「わかったか?」
OKラ ・・・・ 「わかりました!」
マは口偏に馬と書いて疑問を表し、ラは了の字を当てる。
今ではこんな広東語的な言い方は少ない。女の子の感嘆詞も昔は「アイヤー」だったのが、今では”My goodness"に変っている。シンガポールには、今までは日本という格好の見本があった。日本のやり方に加えて、外資導入による港湾と空港のハブ化を進めて、現在の発展にいたった。しかし、もはや飽和点に達っしている。どの隣国もシンガポールを中継点とすることを快しとせず、自国の港湾を拡充しだした。外資導入についても、それぞれの国が積極的にやっている。一番の問題点は賃金の上昇だ。シンガポールの賃金水準はもはや製造業にとって何の魅力もない。エンジニアの職場の渡り歩きも活発でなくなった。これからは横這いに近い発展しかできないだろう。最近失業率も日本を越えたと言う。突然話は変るが、AD11~12世紀頃、日本、中国、朝鮮で、機を同じくして、質実剛健の一団が現れた。日本では関東武士、中国では客家(ハッカ)、朝鮮(高麗)では三別抄である。関東武士のことは説明を要しない。豊臣秀吉軍に対抗した李朝の海将李舜臣は三別抄出身である。客家は、元(蒙古)、清(満州)に常に対抗しながら、子孫を増やし、遂には中国各地に広がった。有名な者に、朱子学創始者の朱熹、太平天国の洪秀全、近代中国の孫文、中国共産党の周恩来、鄧小平、台湾の李登輝などがいる。そしてその系列にシンガポールの前首相リー・クァンユー(李光耀)が加わる。

シンガポールの発展は、このリー・クァンユーの個人的資質によるところが大きい。まず清廉潔白さ。公私の別が実にはっきりしている。リー・クァンユーにならって、末端の公務員も決して賄賂をとらない。時折日本人が持っていく菓子箱すらも、必ず誰かを横に置いて職場へのプレゼントとして受け取る。
次に自主独立の精神。安易な人道主義は取っていない。福祉は最小限に抑え、市民の自助努力を促す政策をとっている。その結果、工事現場の臨時雇用の女子事務員ですら、彼女等なりの人脈を大切にし、常に起業を考えている。

また話が変るが、朱子学によると宇宙の根本は気と理だと言う。理とは道に繋がる。つまり朱子学では「道理が初めにある」と考えるらしい。新約聖書のヨハネによる福音書の冒頭に似ている。ヨハネによる福音書の冒頭は、新共同訳では「初めに言があった」となっているが、中国語聖書では「太初有道」となっている。ギリシア語聖書では「言」にあたる言葉に、英語の Logic の語源である Logos が使われている。 してみれば日本語でも、「言」よりも、「理」か「道」の方が本義に近いのではないか。やまとことばで言っても、「ことのは」よりも「ことわり」の方が座りがよい。またギュツラフ訳聖書の「ハジマリニ カシコイモノゴザル」のように、「カシコイモノ」と言うのもなかなか味がある。

最後はシンガポールから話がそれてしまった。ご容赦いただきたい。

公開日:
最終更新日:2016/02/22


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