貧乏エンジニア漫遊記

大手造船会社エンジニアが世界を股に掛けた、面白奮闘記です!

21.タイ編(1)

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タイ編(1)

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タイには、1970年頃インドへの往復に、トランジットで数回立寄った。当時のインド航空は毎日東京便があるわけではなく、中継地のバンコクで1~2泊して便待ちをすることが多かった。おかげで良き時代の東南アジアの旧都で青春を謳歌することができた。

1982年からは東南アジア一帯での工事が多くなり、タイに出かける機会も増えた。最も長く居たのは、メナム川の三角州の西の端に近いマハチャイだった。バンコックから車で4時間程度。平凡な田舎だ。そこで製紙会社の自家用発電所の工事があった。50メートルほどの煙突の天辺に立つと大平野が眼前に広がる。緑一色の中に大河がくねり、クリークが縦横に走っている。その緑の中に赤色の甍が幾箇所も見える。寺だ。どの部落にも寺が必ず一つある。大きな寺、小さな寺。それらを数えてみた。煙突の上から25の寺を数えることができた。

タイの田舎では休日に暇をつぶす方法が無い。こういう時は日帰り圏内で小冒険の遠出をする。まず河に行ってみることにした。宿舎を出てすぐ未舗装の道に出る。道と平行してクリークが走っている。道のわきに人家がポツポツある。人家には鵞鳥を飼っているものが多い。この鵞鳥がなんとも素晴らしい。日本の鵞鳥は本体が白で嘴が黒いだけだ。ところがタイの好事家の鵞鳥は羽先に朱が混じっているのだ。家の周りには樹木や竹類を茂らせ、多少の花も植えてある。どの家にもデッカイ素焼きの瓶がある。子供なら10人位は入れそう。この瓶に入れる水は、少々濁っていても、やがて澄んで冷たくなると言う。素焼きの効果らしい。

道が河に突き当たる所は、小舟の船着場になっている。上流から流れてきたホテイアオイが桟橋に引っ掛かっている。岡山の児島湖のホテイアオイの腹はせいぜいソフトボールほどだが、ここのホテイの腹はサッカーボール程もある。流石は溢れる太陽と水の国だ。水から直接叢立ちしている大蘇鉄類もある。これの葉の軸の根元は赤みを帯び美しい。子供達は素っ裸で桟橋から飛び込んでバチャバチャやっている。

幾つかの寺にも行ってみた。季節にもよるが、境内の純黄の藤状の花(タイの国花)や、火炎樹の真紅の花は素晴らしい。またどの寺にも必ず三つの建物がある。講堂、僧坊そして火葬炉だ。屋根は必ず赤。屋根の上にはおなじみの金色の尖塔が立っている。

ご承知と思うが、タイの少年は一度は頭を丸め仏教の僧籍に入る。これらの少年僧は4~5人群れて托鉢にでる。自宅の前に来ると毎日母親が息子に合掌して魚や米を喜捨する。この時の母親の気持ちはどんなものだろう。甘酸っぱい幸福感が身体を充すのではないだろうか。これらの少年は一定期間を経ると還俗する。日本のように、一旦僧になると原則として還俗しない場合は、母親の感じ方も自ずから違うだろう。昔の日本なら、僧侶になった息子の托鉢に初めて出会った母親は、むしろ悲しみに身を浸すと思う。

講堂の奥にはキンキラの仏像がある。日本の仏像は、座っているか両足そろえて立っているか、あるいは涅槃で横たわっているかだが、タイの仏像には颯爽と歩いているものがある。裳裾が風にひるがえって涼しげだ。

工事現場の完成式は、タイでは当然仏式でやる。5~7人の僧侶が来てタイ語のお経を読み、祝福の文句(らしきもの)を壁に書いてくれる。これがペンキの殴り書きなのだ。近代設備のデジタル操作盤には相応しくないが、運転管理者は最大限の敬意をもってその殴り書きを尊重せねばならない。何年経ってもそれを消さない。

タイの僧侶はなんでも食う。日本でも最近は、どの宗派の僧侶も生臭を厭わぬが、それでも表向きは遠慮している。タイでは信徒がお布施に魚肉を出すし、僧侶も悪びれずに受け取る。これは文化の違いだ。タイ人は中国人に似て何でも食べる。カブト蟹の卵まで食べる。

公開日:
最終更新日:2016/03/22


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