貧乏エンジニア漫遊記

大手造船会社エンジニアが世界を股に掛けた、面白奮闘記です!

25.インドネシア編(2)

管理職の求人ならリクナビNEXT

貧乏エンジニア漫遊記
インドネシア編(2)

中部ジャワの南側にジョクジャカルタがある。1830年までマタラム土侯国の首都だった。今でもスルタンが住んでいる。王宮は城と言うよりはバンガローに近い。開放的で野趣溢れる屋敷だ。オランダの東インド会社の使節は、この王宮を一瞥しただけで、この国の鼎の重さを知ったことだろう。この王宮は、その威厳において江戸城や北京城には遠く及ばない。江戸時代の大庄屋程度のものだ。沖縄に似て独自の文化はある。ガムラン音楽、舞踏、ワヤン(影絵芝居)、それに更紗などだ。

オランダの植民地になったとはいえ、ジャワ人の尚武の精神は明治維新時の日本に劣ってはいなかった。オランダに制圧された時には大いに抵抗したようだ。それなのに、日本は明治維新で成功したがインドネシアは失敗した。日本では、争っている二つの勢力がともに国粋主義的だった。インドネシアの失敗は、王族が二分裂し、その一方が後先を考えずにオランダに頼った事に原因があるようだ。

この王宮の近くに仏教遺跡のボロブドゥールがある。これは大乗仏教のものだという。セイロン、ミャンマー、タイ、カンボジアの現在の仏教は上部座仏教、すなわち小乗仏教だ。それなのに昔なぜ、端っこのジャワに大乗仏教があったのか。

日本の奈良時代、ジャワのシャイレンドラ王朝からも遣唐使が派遣されている。してみればジャワへの仏教の第一波は中国経由だったと考えられる。東アジアの宗教的な変遷は下記のようであったらしい。

タイ・カンボジア ジャワ 日本
仏教渡来以前 アニミズム アニミズム 古神道
白鳳、奈良、
平安時代
北回り大乗仏教到来
南回りヒンヅー教
(やがて両方衰微
北回り大乗仏教到来
南回りヒンヅー教到来
(やがて両方衰微
北回り大乗仏教到来
鎌倉時代 南回り小乗仏教到来     * 南回り小乗仏教到来
戦国時代
回教到来      *
現状   小乗仏教    回教 大乗仏教・小乗仏教・神道

さて、ボロブドゥールの特徴だが、一寺院としての大きさには圧倒される。また卒塔婆の多くが唐丸籠的格子状になっていて、窓から中を覗くと仏像が入っている(下部写真参照)。これについて、インドネシア人の間にはけしからぬ話がある。窓から手を突っ込んで仏像の下半身の中心に触ると幸運が訪れるという。仏教徒なら恐れ多くてそんなことは決してするまい。この寺院は19世紀の発見時土で覆われていたと言う。一説によると、回教徒から隠すため土で覆ったと言う。別説によると、建設時、材木組でなく土盛りを足場とし、その土を取り除く前に回教徒が侵入し、そのまま放置したと言う。真相は分らない。

ボロブドゥールの近くに、ヒンヅー教のプランバナンという遺跡がある。インドでは、ヒンヅー教の寺院はいかに古くても現役だ。ジャワではヒンヅー教の寺院はほとんど遺跡になっている。その中でプランバナンは最も美しい。月光に照らし出された姿は、正に異次元の幽玄の中にある。トルコのシデのアポロ寺院の夕日のシルエットよりも印象深い。ここを訪れる人には、満月の夜に少人数で行くことを奨めたい。

中部ジャワにはスラカルタという町がある。ブンガワンソロで有名なソロ川が流れている。これは泥川で期待はずれだ。美しく青きドナウも、実際に流れているのは汚い水だというが、ソロ川も歌から連想するものとはほど遠い。ここで取れた手長エビも、川を見た後で食ったせいか、泥臭くてイマイチだった。

セマランからボロブドゥール間の道は快適だ。特にジャワコーヒーの畑の中を通りながら、遠方を眺めると唸ってしまう。富士山に酷似した3000m級の青い火山がいくつも連なっているのだ。大げさに言えば別の星に来たような気がする。

ジャワコーヒーといえば、あまり日本では聞かないが、ホテルによってはうまいものが出てくる。粉コーヒーなのだが、デミタスカップの中で、手を離すとスプーンが立つほど濃い。これはお奨め。また回教国で飲む者が少ないせいか、アルコール類に酒税がかからない。日本で碌なウイスキーを飲んでいなかった者が、インドネシアではジョニ黒やシーバス12を飲みだす。

インドネシア料理はつまらない。ソトアヤムはなんとか口に合う。しかし早い話が鶏肉の塩味スープだ。ナシゴレンやサテアヤムもマレーシアのに似て冴えない。ココナツミルク料理も多いが、これらも洗練されていない。一流ホテルのレストランで出るものには、食える物もある。これらは、名前はインドネシア風でも、純粋のローカル料理ではなく、西洋風に改良されたものだ。日本人がインドネシアの田舎に長期出張すると往生する。ただしパイナップル酢はいける。極甘口で香りも良い。独断と偏見を恐れずに言えば、世界一の酢だ。日本の黒酢やイタリアのワインビネガーも一歩を譲る。酒の無い時はこの酢を薄めて氷水でわると、血まで爽やかになった気がする。

中華料理もイマイチだ。総じて中華料理屋の構えが遠慮気味だ。豚肉を出す店は大きな顔して居られないのだろう。とはいえ当時セマランで二軒あった中華料理屋は重宝した。印象に残っている料理は鳩料理だ。ある時、隣の客席を見ると、ピンポン玉大の肉団子のフライが皿に山積みされている。旨そうなアンがかかっている。これこれとばかりに注文した。待つこと久し、出てきたものを先ず一口。

「グシャ、プチュ。なんだこりゃ!」

味は悪くない、しかし肉団子ではない。聞けば鳩の頭だという。鳩の頭だけの贅沢料理だったのだ。最初のグチャは頭蓋骨を噛み砕く音、次のプチュは脳味噌が口の中に出てくる音だ。ビールには結構合った。

セマランにも輸入食材専門の店があった。日本のコンビ二程度の店だ。先述のジョニ黒もここで買っていた。我々日本人が時々行くので、主人がどこで聞き込んだか、日本の味噌を仕入れてきた。小さなプラスチックの容器が5個ほどだ。即座にこれを買い占めた。これが滅法塩辛い。塩の中に味噌を混ぜたような代物だ。しかし、随喜の涙で味噌汁を一杯だけは飲んだ。さて一月ほどしてその店に行くと、なんと味噌容器が50個程並んでいる。店の主人がこれは売れると思って仕入れたのだ。余りの塩辛さに閉口して、最初に買ったものも、現場を引き揚げるまでに全部は使い切れなかった。当然店の50個は店晒しのままだ。以下は帰国後数年たっての会話。

「あの味噌はどうなったかしら」
「なあに、あの塩辛さなら百年でも保つよ。まだ売ってるんじゃないかな」

公開日:
最終更新日:2016/02/22


Message