貧乏エンジニア漫遊記

大手造船会社エンジニアが世界を股に掛けた、面白奮闘記です!

37.ギリシア旅行記

2000年2月27日。6時起床。隣家のF夫妻同道、関西空港へおもむく。空港で、HT社の添乗員Oさんに会う。彼女は太めの健康美人。大阪人にしてはさっぱりした気質。面倒なことは嫌いらしくHT社恒例のくどくどした出発前説明を省略する。旅行中は駄洒落を連発。責任感有り。同行者は約120名、3班に分かれる。

アリタリア航空AZ759便で出発。ミラノでトランジット、夜アテネ着。市内に入り、ライトアップされたパルテノン神殿を遠望する。ホテルの名はドリアン・イン。町の中央オモニア広場まで2区画、古いホテルながら観光客にとっては最高の立地だ。部屋と寝具は立派とは云えないが、このツアーの料金を考えれば我慢できる。

2月28日。午前中。アテネの市内観光。現地人ガイドはかなり年配のオバサン。最初に行った所がオリンピック競技場。やけに新しいと思ったら第1回近代オリンピックの会場だった。新しすぎて写真を撮る気にもならない。

つぎはアテネのアカデミー。ラファエルの傑作「アテネのアカデミー」は日本の美術の教科書にも必ず載っている。その絵では、堂々たる古代の学堂の中をプラトンとアリストテレスが話をしながら闊歩している。今回見たものは最近建てたものだ。これにも失望。ギリシアでは千年以上経っていないと見物の値打ちはない。

つぎにアクロポリスに行く。死ぬまでに一度は見たいと思っていた所だ。残念ながら最善のコンディションではなかった。雲は低く寒風は吹き、見学時間が少ない。まず入口右側に劇場がある。舞台はギリシア時代製で、舞台裏の建物はローマ時代のものだが、観客席は最近修復したものらしい。その横を登り右へ曲がる。その曲がり角辺りにはゴチョゴチョ柱や壁が立っている。往時は入場者をチェックする建物が有ったらしい。そこを抜けると、右前方にパルテノン神殿があり、左前方にはエレクティオン神殿が見える。

パルテノン神殿は復旧中らしく、合掌式のクレーンが神殿の真中から天井部を抜けてのぞいている。興ざめだ。とは云え、その貫禄は写真やビデオでは到底実感できない。柱を両手で抱いてみると、円周の約半分ある。柱上部はシンプルなドーリア式。パルテノン神殿は写真と違って異様に立体的に見える。近づくほど天井部が高く思えるのだ。エンタシスの柱が中膨れしているせいかと思ったが、これが大違い。柱が鉛直ではなく、わずかに内側に倒れているせいらしい。建築当初からセリの効果を持たせているのだ。古代の設計者の知恵には頭が下がる。

エレクティオン神殿はずっと小さいが瀟洒だ。そのバルコニーの屋根を6本の少女像の柱が支えている。この少女像は付属博物館にあるのが本物で、ここにあるものは複製らしい。複製なら、わざわざ鼻まで欠いて時代色をつけなくとも良いのにと思う。主建物の柱は鉛直に立っておりイオニア式だ。

付属博物館はアクロポリス一帯の出土品を置いている。この博物館は非常に狭く、出土品を詰め込んで並べている。雰囲気はイマイチだが、日本なら国宝級の芸術品ばかりだ。ところでここにもアルテミス女神の像がある。説明書きにはアルカイック期のものと書いてある。日本では、アルカイックスマイルとは、中宮寺の弥勒菩薩等にみえる幽玄で仄かな笑みを云うのだが、ここでは、肉感的な年増女のアルテミス女神がにんまり笑っているのだ。

この日の午後は自由時間になっている。オプションでスニオン岬のポセイドン神殿に行く事もできたが、パルテノン神殿をみた直後だったのでパスする。ツアーから離れてオモニア広場近くの市場見物に行く。特にめぼしいものはない。肉売り場が他のどの国の市場よりも清潔。果物は品不足気味。オリーブ漬けと干しぶどうは各種ある。

2月29日。デルフィを見る。デルフィは神託で有名な場所だ。確かに神域の雰囲気を今でも持っている。昔の参道を登り始めると、前方の絶壁が瑞気をもって迫ってくる。神殿に着くと祭壇跡と生贄屠殺場がある。ここで現地ガイドが真面目な顔をして云う。

「子羊達は、選ばれた者として胸を張って喜んで死んで行きました」

同行者のほとんどが、もっともらしい顔をして頷いている。殺される羊が胸を張るわけもない。頷いた者はガイドの冗談を解しなかったのだ。神託や神懸りは、デルフィであろうとイタコであろうと変わりはあるまい。古今東西神託は巫女への鼻薬次第だ。ただデルフィの方は古代史を動かしたが、イタコの方は後家サンを慰める程度の事しかできなかっただけだ。

3月1日。午前中、サラミスの海戦で有名な海を左に見ながらコリントス地峡に行く。ここにある運河は一見に値する。紺色の海水。トルコ石色の空。緑色の平坦地に切り込んだ茶色の断崖。一幅の絵だ。ただし橋は日本の歩道橋に似て、まるで風情がない。

コリントス遺跡に着く。新約聖書の「コリント人への第一、第二の手紙」で有名だ。しかしギリシア時代のコリントスは、ローマ人に完膚なきまでに破壊され、立っている遺跡は数本の神殿の柱だけ。その神殿の周りの遺跡は、ローマ帝国時代に再建されたものだが、現在のギリシア共和国の独立戦争の時、トルコ軍の火薬庫が爆発して、決定的に破壊されたらしい。劇場、アゴラ、浴場、水洗便所、娼館など都市機能一式の跡がある。トルコのエフェソス遺跡に似ているが規模は小さい。

コリントスを後にしてミケーネの遺跡にいく。アカイア勢を率いてトロイと戦争した都市という割には小さい。イーリアスを読むと、トロイにもミケーネにも、神々の子孫の華やかな宮廷があったはずなのだが。トロイ戦争に出てくるヘレンは、ミケーネ王アガメムノンの弟の嫁さんで、ギリシア神話中随一の美女と云うことになっている。しかし、城壁の規模や当時の人口から考えるに、まず「ミス玉野」程度の女性だったのだろう。トロイはエーゲ海に面しダーダネルス海峡を扼しており、立地場所は屋島の頂上に似ている。それに比べてミケーネはすこし内陸に入っていて海が見えない。玉野市の瀬戸内海ゴルフCCに似た立地だ。

まず最古のクレタ様式で知られたライオンの門から遺跡に入る。この門は想像していたよりずっと小さい。すこし行くと突き当たりが小高くなっていて円形の墓地がある。ここが、シュリーマンがアガメムノンの財宝を発見したという所だ。アガメムノンはトロイ戦争時のミケーネの王だが、最近の研究では、この墓地はトロイ戦争時より数百年古いと看做されているらしい。城砦からすこし離れて「アトレウスの宝庫」と呼ばれている古墳がある。日本の古墳は、土盛については大したものだが、中核の石室は「アトレウスの宝庫」に遠く及ばない。「アトレウスの宝庫」を王将とすれば、明日香村の石舞台は香車程度だ。昼飯がまだだったので、同行者達は腹が減って意気地がない。城砦跡の最上部まで行ったものは少なかった。

3月2日。エーゲ海1日クルーズ。アテネからすぐのサロニコス湾のエギナ島、ボロス島、イドラ島を巡る。瀬戸内海でいえば、直島、手島、女木島巡りと云った所だ。観光に特化している。家々は白壁に紺塗りの窓枠で統一されている。年に2回、壁に純白の石灰を塗ることが義務づけられていると云う。

エギナ島にはアフェア神殿跡がある。この神殿は大理石ではなく石灰岩でできている。一部が2階建てだったらしい。結構綺麗な遺跡だが、ここまで来ると神殿は食傷気味になる。帰りは新築完成間近のギリシア正教の教会に寄る。

帰りの船の中でグリークダンスを見る。船に乗り込むとき素早く立ち回ってカブリツキの席を占めたのだが、ダンスはトルコで見たもの以下だった。その時飲んだカクテルも最悪、焼酎にサッカリンを入れたような味だった。アテネ帰着寸前天候が変わり大時化となる。船酔い者続出。遊覧船の出来が悪いのか、風向きの所為か、ローリングが一方に片寄る。固定されていない椅子は滑り出す。こけて手を骨折する者もでた。

3月3日。午前中は自由時間。オプションで「リカヴィトスの丘と国立考古学博物館の見学」ができることになっている。聞けば一人分一万円追加だと云う。リカヴィトスの丘からはアテネを俯瞰できるというが、近代都市としてのアテネは二流で見てもつまらない。国立考古学博物館まではホテルから徒歩10分以内の距離だ。オプションツアーには参加せず断然歩くことにした。この博物館の彫刻は凄い。ルーブルには腕の無い「ミロのビーナス」と頭の無い「ニケの像」があるが、この博物館には、それらに匹敵する五体満足の古代の彫刻がずらりと陳列されている。特に「アンティキセラの若者」というブロンズ像は素晴らしい。像に向かって左の窓から光が入り「凛々しさ」を浮き出させている。ロダンやマイヨールの彫刻も、この博物館に持って来ては影が薄いと思う。またムーアの丸々した前衛彫刻の嚆矢のような作品もある。ザッキンの骸骨彫刻などはここではゴミ扱いされるだろう。

シュリーマンがミケーネの円形墓地で発見した例の「アガメムノンの黄金のマスク」もここにある。顕微鏡でこのマスクを見れば、傷つけないで真贋がわかるらしいのだが、博物館側は真贋の判定検査には頑として応じないらしい。その他、黄金の工芸品、壷甕、武器など多数陳列してある。その後アテネ発ミラノに向かう。

それにしてもギリシアの食事はまずかった。ムスカという鰯料理が有名なのだが期待はずれだった。出てきた物は、青魚の塩煮をくずして、茹でたマカロニと合わせ、ナスに挟んで、厚めにオイルを引いたフライパンであげたものだ。それにポテトチップスとレタスの原種のような菜っ葉を添えてある。日本でギリシア料理として売り出しても全くはやらないと思う。

午後。ミラノに到着。ミラノでやっとまともな料理にありついた。これも後から考えると牛肉が薄すぎてイマイチだった。食事中、添乗員Oさんは例を引いて「ミラノは治安が悪い」と同行者達を脅かす。翌日の自由時間に皆が出歩いてトラブルに巻き込まれるのを恐れているのだ。また営業上、できるだけ多くの者をオプションの「コモ湖畔半日旅行」に参加させたいのだ。

この自由時間にレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見たかったのだが駄目だった。予約が必要だと言う。日本で予約できるとは知らなかった。HT社は、日本で金さえ払えば、個人的な頼みでも聞いてくれると言う。後から知って切歯扼腕した。

3月4日。午前中は自由時間。早朝、ホテルの朝食を取らずに、F夫妻とともにドゥオーモに行く。まずガラス天井のギャレリー入口右側の立ち食いカフェーで朝食をとる。ドゥオーモは、ゴシックの外観は勿論だが、内部のステンドグラスも何度見ても感心する。市庁舎前散策からナポレオーネ通りに行き、ブランド品のショッピング街をひやかす。14時30分、アリタリア794便でミラノ発。

3月5日関西空港着。

今回のツアーでは、アトス山は含まれておらず、伝統あるオーソドックス教会を見る機会は無かった。ギリシアにはオスマントルコ時代の見るべきものは何も無いようだ。イスタンブールと異なり、文化的なものは破壊略奪される事はあっても蓄積される事はなかったのだろう。

ギリシア人は意外に商売気が無い。世界一の遺跡を持っているのに、土産屋も貧弱で、記念写真屋も皆無。店員もどちらかと言えば無愛想。

実際にみる現在のギリシア人の平均的な顔は、古代彫刻の容貌とかなり異なる。ギリシア全盛時代以降、ペルシア人が攻めてきた来た。次いで、ローマ人、ゴール族、サクソン族、ヴェネチア人、そして最後はオスマントルコに征服されている。現代のギリシア人に古代のギリシア人の血がどれほど残っているか疑わしい。またギリシア神話時代の宗教は全く残っていない。

我々日本人が古い神社にいだく感情に比べて、血縁的にも宗教的にも、古代とは関係の薄い現代ギリシア人は、自らの遺跡に対して思い入れが若干薄いように思う。

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