貧乏エンジニア漫遊記

大手造船会社エンジニアが世界を股に掛けた、面白奮闘記です!

40.アンコールワット旅行記

2000年7月2日。HT社のツアー「感動のアンコールワット、スコタイ・シーサッチャナライ6日間」に、夫婦で参加した。添乗員はEさんという若い大型健康女性。

最初の日はバンコク泊。空港で現地ガイドのギョロ眼のオバサンが出迎える。空港を出るや否や、一直線に宝石屋に連れて行かれた。あまりにもえげつない。同行者全員がしらける。当然全員何も買わない。夕食の後、ホテルに放り込まれる。「本日はこれで終わり」とギョロ眼のオバサンは云う。

時間があるのでホテルを抜け出し、勝手知ったるパッポンに行く。家内がいるので悪所は避ける。デパートと夜店を見た家内は、衣料が上質でカラフルなのに驚く。

7月3日。スコタイ行き。 スコタイ空港の瀟洒なことに感動。まず滑走路の両側にカンナ花畑が続く。こんなカンナは見たことがない。ピンク色なのだ。建物周りもトロピカルの花々で溢れている。同行者一同歓声をあげる。一服して、早速12世紀の複数の寺院遺跡に向かう。どの遺跡も、煉瓦とラテライトの塔、円柱、欄干のみ残り、木造の屋根や壁は失われている。総じて赤黒い。直射日光で焼け爛れたのだろう。スコタイはシャム民族が建てた最初の王朝として有名だが、そのテリトリーは現在のタイよりずっと小さかったのだろう。遺跡は目を剥くほど大規模ではない。残っている仏像はアユタヤのものに比べ、より端正でスリム。スコタイの仏塔は、それを建てた施政者の出自と宗教によって、釣鐘型のスリランカ式、細身の尖塔型のクメール式、ずんぐり型のヒンドゥー式の3種類に分かれるという。

7月4日、午前中。シーサッチャナライの遺跡公園に行く。  この公園はスコタイ王朝の離宮にあたるらしい。複数の長方形の池からなる広大な公園だ。実にスッキリしている。岸は煉瓦造りで、すべて直線。角は全て直角。渡り廊下的な陸部は完全に平坦になっている。ヒョウタン池とモッコリ築山のある日本の公園の対極をなしている。

その後、宋胡録 (スンコロク)窯跡を巡る。 全長10メートル程のプックリ中脹れした窯を4基みる。これは俗に云う「狸の腹」型だ。阿波の大狸が仰向けに寝た姿に似ている。その内2基は地中にある。窯の頂部まで土に埋まっている。焚き口には7~8段の階段を降りて行く。廃棄された後埋まったのか、最初から熱効率を考えて地下に設けたのかは不明。最後に見た窯の周囲の地面にはコンモリした隆起部が幾つもある。よく見ると、それらは茶色を帯びた青磁器のコッパの塚なのだ。掘出し物をさがしたが、食指の動く物は全く無い。窯群に沿って幅10メートル程の茶色の川が流れている。その底から今でも骨董品がみつかるそうだ。それを売っている店が川岸に数件ある。合子2点とミニ花瓶を1点、合計1万円で買った。かなり安いと思ったが、帰国後インターネットで確認すると、eBAYオークションで充分入手できる値段だった。

同日昼過ぎ、カンボジアへ移動。  スコタイ空港よりカンボジアのシェムリアップ空港へ飛ぶ。空港で、色黒小柄痩身のガイド、サムナン君の出迎えを受ける。彼の日本語の語彙は限られているが発音は正しい。難民だった頃、ボランティアの日本人に習ったと云う。彼によると「シェムリアップ」とは「シャム負けた」の意との事。カンボジアとタイの角逐がこの地であったことが知られる。また「カンボジア」と「クメール」とは全く同じ意味だという。「ハポン」と「ジパング」の違いみたいなものらしい。 さて、これから東南アジア最大のアンコール遺跡群に向かう。この一帯はクメールの首府として9世紀初頭から15世紀中葉まで栄えた。最初にロルーオス遺跡を見た。これは、アンコール遺跡群の中で最っとも古いものらしい。この遺跡のプレア・コー、ロレイ、バコン等の寺院跡を見た時には感動した。しかし翌日、真打ちのアンコール・トムやアンコール・ワットを見た後では印象が薄くなってしまった。

7月5日、午前中。アンコール・トムに行く。  圧巻。それしか云いようがない。アンコール・トムは単一の建物ではない。寺院、王宮、神殿等を含む都市全体を指す。そもそもアンコールとは「都市」を謂い、トムとは「大きい」という意味らしい。バイヨン寺院の塔に刻まれた巨大な面は観音菩薩の顔だと云う。数多い塔1本々々の4方に1面づつ彫刻されている。想像とは違って、実物は、瑞気に満ちてはいるが、怪奇な物ではない。むしろ親しみのある温顔で、アルカイックな微笑みを湛えている。確かに観音菩薩の面影である。面は全部で196ある。当時のクメール王国はベトナムからビルマにまたがる大帝国だった。建設者のジャヤヴァルマン7世は、その州の数だけ観音菩薩面を彫らせたという。 しかしここの観音菩薩は、日本で云う聖 (正)観世音菩薩1種類のみである。日本では、七観音とも三十三観音とも云われ、種類が多い。観音菩薩も元はただ一つだったはず。クメールの王様の方がまともだと思う。中国や日本では、現世利益の数だけ観音の種類が増えている。

午後、アンコールワットに移動。 まず環濠の外、西参道の前に立つ。ここに立っただけで、この遺跡が途方もないことがわかる。環濠とその中の構造物の配置はきっちりした長方形。東西2正門と中央祠堂を結ぶ直線を軸に、正確に左右対象になっている。環濠を渡る参道は、修理中ながら堂々とした石造り。内門を入るとテラスがある。2頭の獅子像が入場者を見張っている。日本の狛犬はペタッと座っているが、ここの獅子は中腰なのだ。その張った尻は人間の女性を思わせる。艶かしい。色っぽい獅子像は始めてみた。クメール人のユーモラスな精神構造を窺わせる。

回廊のレリーフは本で見るより見事。有名な「阿修羅群と女神達の綱引きの図」は見て楽しい。引張られているのは、実は綱ではない。綱と思ったのは、胴体の両端に頭を持つ双頭の蛇(ナーガ)なのだ.。胴体の中央には大亀がぶら下がり、その背の上に曼荼羅山が乗っている。つまり亀と山を鋤にして、阿修羅と女神が大海をエッサホッサと攪拌しているのだ。大海はコロイド状態になるらしい。モチーフの呼び名も「乳海攪拌」という。また、ラーマヤーナ、マハーバータラなどインドの叙事詩がユーモラスに、かつ精密に彫りつけられている。日光にある左甚五郎の夜逃げ竜や眠り猫は、精密さにおいて、アンコール・ワットのレリーフにとても及ばない。

日本人の森本某が、江戸時代初期に、ここを訪れて書いたという落書きも見た .。アンコール・ワットに近いトンレサップ川の沿岸には、日本人町もあったという。  多くの者が、ここを祗園精舎と思い込み、仏像を寄進したと云う。千仏の間というのもできた。それらの仏像は今は無い。次第に盗まれ、先のポルポトの内乱で徹底的に荒らされ、遂にとどめを刺されたらしい。

蛇足になるが、サムナン君の、現首相フンセンに対する評価は厳しい。彼によると、フンセンは元々ポルポトの一味で、ポルポトを裏切った者に過ぎないという。ポルポトは中国につき、フンセンはベトナムについた。フンセンはベトナムから戦費を借り、返せないので、アンコール地区の入場料徴収権をベトナムに与えているという.。管理者もベトナム人で、収入を、遺跡の保全には一銭も使わず、全てベトナムに送っているらしい。1人1日の入場料は20USドル。けっこう高い。USドル建なのも気に食わない。

このアンコール・ワットは、12世紀に、スールヤバルマン2世が、自らの墓として、生前に造らせた。彼は、自分が祭神ヴィシュヌの化身だと信じていたという。 アンコール・ワットの建設は、日本で云えば、平清盛や源頼朝の時代に当たる。技術水準は、当時の中国や日本に比して遜色ない。これだけの物量の岩を積んだにもかかわらず、今でも建物が傾いていない。恐らく基礎部の泥土を掘出し、砂と入替え、水締めしたのだろう。今で云うサンドパイル工法に近い事をしたに違いない。

7月6日、午前中。トンレサップ湖ヘ行く。水上ボートに乗り、湖上生活者を見る。この湖は極端に浅く、また極端に広い。雨季には最深部12メートルで、琵琶湖の数倍の広さになる。これが乾季には、最深わずか1メートル強に減り、面積も何分の一かになるという。湖畔のブッシュの平野は、雨季には水に浸かる。魚はブッシュの枝に卵を生み、ブッシュの間で幼魚期を過ごす。乾季に水が引き始めると、親子の魚は湖の中央に帰っていく。従って乾季には、信じられないほど魚影が濃いと云う。また、この湖には、淡水のイカ、イルカ、カマス、カツオなどがいると云う。生簀で、淡水のカツオを実際に見た。鳥の数も多い。ダチョウほどもある極大種のペリカンをはじめ、あらゆる種類の渡り鳥がやってくる。不思議な湖だ。 水上生活者は、太い竹を束ねて組み、その上に家を建て住んでいる。このバージ的住居は、季節によって、ポンポン船に曳航されて移動する。一方、住居・漁場往復や隣家訪問などには小舟を使う。彼等は、進行方向に向かって、しゃがんで小舟を漕ぐ。歩く必要がない。たまに陸に上がると、10メートル歩いただけで疲れを訴えるという。そのかわり、櫂を漕ぐ上半身の筋肉は発達している。 水上生活者は、ほとんどが漁師だが、生活必需品を、船で売って回る商売人もいる。これらの商売人の内、大きな船を持っている者は華僑だ。ここでも華僑は、現地人から儲けを掠め取っている。

同日午後、シエムリアップ空港を発って、帰国の途につく。中継地のバンコクで、添乗員の江波さんが気を持たせる。空港を出て、街中で旨い晩飯を食わすと云うのだ。HT社を見直しかけた。ところがどっこい、例のギョロ眼のオバサンが待ち受けていたのだ。旨いはずの晩飯はタイスキだった。タイスキは、漁醤汁に生の食材をぶち込むだけのもの。手抜き料理だ。そのタイスキも早々に切り上げて、来がけとは別の宝石屋兼土産品屋に連れて行かれた。再びしらける。だれも少額品しか買わなかった。

7月7日早朝、関空に帰着。蛇足。  この旅行での食事はどれも旨かった。とくに東南アジア共通の料理、クイテャオの油炒めが好い。クイテャオとは、日本のキシメンに似た、もっと薄くて柔らかい幅広の麺だ。これを豚肉や野菜と一緒に油で炒める。クアラルンプールやシンガポールのそれよりも旨いと感じた。
完。

参考文献:

1.アンコール・ワットへの道    石澤吉昭/内山澄夫著 JTB出版
2.カンボジア   ジャン・デルヴェール著 石澤吉昭/ 中島節子訳  白水社
3.東南アジア史  レイ・タン・コイ著 石澤吉昭著 白水社
4.アジアの至宝アンコール遺跡   石澤吉昭監修日本電波ニュース社
5.アンコールの遺跡  今川幸男他2名著 霞ヶ関出版社

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