貧乏エンジニア漫遊記

大手造船会社エンジニアが世界を股に掛けた、面白奮闘記です!

41.台湾旅行記

1999年4月5日より同月8日まで、家内同伴で台湾を旅行した。
H・T社の「2人4日間10万円」というキャッチフレーズに引かれた。

台湾は、もともと私の生れた所。昭和21年、6才の時引揚げた。今回の旅行で、幼時の記憶を多少ともたどれるのではないかと期待した。

関空に着くとH・T社より日本の航空会社の搭乗券を渡された。ところが、発着案内のボードにはこの搭乗券の便名が表示されていない。首を捻りながら、出発ゲートにいくと、渡された搭乗券の便名と別の便名が併記されている。どうも日本の航空会社と業務提携している台湾の航空会社の便名らしいのだ。機体を見ると台湾名の航空会社の名前が書いてある。不安が脳裏をかすめた。以前台湾の飛行機が名古屋空港で落ちたことがある。家内は今回海外旅行保険を掛けていない。

乗込んでみると機体も時代物だ。イヤーホーンも付いていないし、スチュワーデスコール用のサインランプもない。着陸はまことにお粗末。進入コースを間違えたのか稲妻型に旋回した。機体を戦闘機のように傾けるのだ。35年間に乗った飛行機の中で一番下手糞な操縦だった。それでもなんとか桃園の中正空港についた。

回りを見渡したが二流空港の二流施設しかない。税関から出るとオッサン二人が出迎えている。一人はガイドでH・T社の旗を持って客を待っている。他の一人は観光バスの運転手で、旗に近寄よってきた人間をバスに案内する。

バスに7組14人が集まった。8組の予定が7組になったという。このツアーでは、ここで初めてメンバー一同が互いに顔見世をした。第1組はシカメ面の親父とその女房だ。このシカメ面氏は顔に似合わず書と絵をやることが後でわかった。一見紳士風の男とその女房が第2組。この男も陶芸をやる。奥さんの身なりが良い。第3組は太ったギンギンの神戸のオバさんと影の薄い亭主だ。この3組は旅行ズレしている。定年後ツアーを利用して世界中を歩き回っているという。第4組は八十婆さんと別嬪の付添いだ。別嬪は婆さんを一生懸命に介添している。聞けば姑と嫁だという。微笑ましい。どうすればこの様に和やかな嫁姑関係ができるのか、家内と共に感嘆した。第5組は一見玄人風の女とその娘。二人の話振りは意外に堅気だ。娘は元日航のスチュアーデスだという。そのわりに初々しい。仕事がきついのでやめたらしい。第6組は背高で清潔な感じの若夫婦。これに私達をいれて計14人だ。これでガイド付きバス一台4日間借切りる事になる。旅行社のことながら採算が心配になる。

この心配は的中した。我々が契約したH・T社は台湾のS社にゴッソリ丸投げしたらしい。S社は観光時間を徹底的に削って、土産品屋で元を取る作戦に出たのだ。バスは天皇座の観光バスだ。天皇座とは台湾ではデラックスシートのことらしい。個々のシートがやたらにでかい。しかも超柔らかい。一見立派そうだがビニール製だ。八路軍の兵士が着膨れたようなシートだ。それでも台湾では一番のバスだと言う。ガイドは垢じみて小太り中背で眼鏡をかけている。日本語はマアマアなのだが関西弁の語尾に東京下町で使う「サ」をつける癖があり、それで上品だと思っている。さて中正空港から台中に向かった。

最初に通過したのが苗栗だ。私の生まれた所だ。残念ながら想像と著しく異なる。台湾のシリコンバレーと言われているからには、工業地帯でも米国流の緑の多い所だと思っていた。実際は薄汚れた小さなビルがびっしり建っているに過ぎない。これには幻滅した。この日の宿泊地台中の通豪大飯店に到着。夕食はこのホテルで摂る。台湾の賓客歓迎料理と銘打っていたがイマイチだ。しかし岡山のどの中華料理よりも格段に上ではある。

4月6日。最初は宝覚寺観光。でかい金色の布袋像が有るだけ。金ぴかで下劣。宗教性は全く無い。

その後、山中の日月潭に向かう。台湾で観光地と言えるのは日月潭のみとは聞いていたが、確かに素晴らしい。日光の中善寺湖と似ている。濃紺の湖面がより鮮やか。やはり火山湖らしい。同湖を見渡す所に文武陵という道教寺がある。孔子と関羽を祭っている。平凡。東南アジアには同類のものが多くある。ただ天井近くの内壁にぐるりと張ってある陶板は気に入った。史記や三国志の有名な場面の絵が並んでいる。

昼近くになって、日月潭をはなれ、飯屋を兼ねた山奥の土産屋に行く。紫檀製の机、黒壇製の小物入れ、中国風茶道具などが並んでいる。細工が緻密でない。書と絵の掛軸もあった。書は「少年老い易く学成り難し」か「月落ち烏鳴いて霜天に満つ」の2種類だけ。絵は岡山の県展クラス。旅行社に協力するつもりで土産用に烏龍茶と箸を買った。

昼食には田舎料理と称するものが出た。田舎料理とは云うが、他のレストランの能書き付きの料理よりはましで、この旅行では一番の料理だった。辛さと塩辛さを抑えて、ダシだけで勝負している。忘れていた私の幼児期の味だ。ただし焼きビーフンのみは家内のXO醤(エキスオージャン)入りのピリ辛料理の方が上だった。

その後渋滞気味の高速道路を台北へ向い、台北郊外の翡翠湾に連れて行かれた。途中農村地帯を横切る。山際の農村は疎開時代の面影が残っている。戦前のの面影があったのはこれだけだ。夕食の海鮮料理に期待したが、これがとてつもない代物。不揃いの雑魚のゴッタ煮がメイン料理だという。他の6組のメンバーも皆憮然としている。ツアーの値段を考えて諦めているらしい。この夜の泊まりは翡翠湾福華大飯店。大きなホテルだがシーズンオフで閑散としている。

4月7日。故宮博物館を見る日だ。普通なら数日かけて観るところである。ガイドは主館のみを僅か1時間半で見てくれと言う。またガイドは自分について回って欲しいとも言ったが、それを無視して書と陶磁器のコーナーに直行した。書では例の永和九年(蘭亭序)の臨書のみが数点ある。他の書は、故宮博物館の他の建物にあるのだろう。シカメ面氏は奈良県展の書の部の特選になったと言う。期待していた書が無いのをしきりに残念がっていた。同氏は王鐸の書を期待していたらしい。岡山の県立博物館に王鐸の素晴らしいのが数本あるから見に行けば良いと慰めておいた。

さすがに陶磁器は期待通りだ。北宗の龍泉窯の鳳凰耳瓶や汝窯の水仙盆など、ここの青磁はまさに逸品だ。しかし写真で得ていた印象よりはいずれもやや小ぶりに感じた。清の景徳鎮の精華運龍唐草文五孔偏瓶のオリジナルを始めて見た。シンガポールなどに出回っている“写し”と違って、コバルトブルーが心なしか沈んでいて深みがある。見るべきものは見た。しかし全ての陶磁器を腰を据えて見るにはあまりに時間が足りない。後ろ髪のひかれる思いだった。一見紳士風氏も時間が少ない事に憤慨していた。

さて故宮博物館を切り上げた後、忠烈祠なる所に連れて行かれる。蒋介石配下の無名戦士の忠魂祠だ。衛兵の交代がみものだと言う。6~7人の兵隊がデコの銃剣を振り回しながら練り歩いて交代する。その歩き方は吉原の花魁道中さながらだ。バッキンガム宮殿の衛兵交代とは雲泥の差がある。

昼食はモンゴリアン・バーベキューだった。これがまたひどい。残飯みたいな野菜が何点かと牛、鶏、羊、鹿と名札が付いているボロボロの細切れ肉だ。鹿肉は脂肪分の多い牛肉の味だ。この料理店の地下がまた土産品屋ときた。そこでガイドはねばって動かない。家内もつい余計なものを買う。

その後、中正記念堂に行く。何かと思ったら蒋介石記念館だ。大仏級の蒋介石の像が有る。私は蒋介石を評価している。しかしこの像はいただけない。大きければ偉さが表現できると思っている俗物根性の作品だ。ここでも花魁道中を見せられた。いい加減にしろと思っていたら今度は漢方薬の店へ行く。

漢方薬店ではお兄ちゃんが蝦蟇の油売りよろしくいい加減な薬を売りつけようとする。焼鈍した細パイプをいかにも実軸丸棒の如く見せかけて大げさに気合をかけて曲げて見せる。嫁姑組が何か買ったようだが他の組は欠伸をかみ殺して何も買わない。

その夜は2組に分かれた。1万円余計に払って台湾一のホテルに泊まる組と、1万円が惜しくて二流ホテルに泊まる組だ。私達は後者に属し、六福客桟大飯店なる斜陽ホテルに連れて行かれた。寝る前にホテル裏の市場に行ってみたが、値段水準はガイドに連れて行かれた土産品屋の0.6掛けだった。

この日は30才がらみの渋皮の剥けた女性がバスに一日中同乗していた。彼女は客の乗降にやたらと手を貸す。いくら渋皮が剥けていても手足まといで危険なのだ。最後の1時間になって、この女性がエルメスのスカーフを執拗に売りつけだした。家内が買おうとしたら、ギンギンのオバさんにとめられた。贋物歴然だと言う。ギンギンのオバさんの能書きに従うと確かに贋物である。女性の生活が掛かっているので気の毒ではあったがパスした。若夫婦組のみが付き合いでなにか買ったようだ。

6月8日帰国。家内は2人分のツアー料金に等しい額の買い物をしたが、台中で買った運動靴以外に見るべきものはなかった。

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