貧乏エンジニア漫遊記

大手造船会社エンジニアが世界を股に掛けた、面白奮闘記です!

42.黄山、屯渓、西塘旅行記

2002年6月26日より5日間。「桃源郷と黄山、安徽の南部の古村落、屯渓老街、嘉善5日間」なる中国ツアーに参加した。旅行社はおなじみの阪急交通トラピックス社。この旅行はモニター用で格安というふれ込みだった。行程は次の通り。

第1日目、上海空港着、郊外の西塘見物。
第2日目、嘉善の望呉橋見物、続いて屯渓へ。
第3日目、黄山登山。山頂ホテル泊。
第4日目、下山。西逓村と宏村の古代民居村及び屯       渓老街見物。空路上海へ。
第5日目、朝、帰国。

結果から言うと、肝心の黄山が濃霧につつまれ、イマイチの観光旅行になった。救いは、同行のメンバーと気が合ったことと食事が良かったことくらい。

添乗員は、寺田理恵さんという。24歳で飾り気のない人。同行観光客は総計24人。内訳は米子の同好会が12名、4人組の親子が1組、そして夫婦単位の旅行者が4組。

最初のポイントは西塘の清時代の民家群だ。幅2~3メートルの石畳の路地と、その路地から直角に曲がる幅50センチ程の細い路地を見る。コチョコチョした土産屋が並んでいるが、誰もなにも買わない。多少はエキゾチックだが感心するほどの所ではない。

その狭い路地の裏に回ると、堀状の運河に出る。幅は25メートル位。両岸はしっかりした石積だ。各戸にミニ船着場がある。清時代を思わす料亭が並び、5~6箇縦につながった赤提灯がかかっている。所々に生えている柳と併せて風情がある。昔は小遊子が舟に乗って訪れたことだろう。我々が見物した時は夕暮れだったが、提灯に火が灯りだし雰囲気が出ていた。但し共産中国の悲しさ、手招きする姑娘もやり手の太太もいない。

ここで手漕ぎの遊覧船に乗る。屋形船と言うほどの物ではない。単に漁船に板縁をつけペンペン屋根を張ったものだ。櫓は日本のものと全く同じ。それで15分ほど運河に漕ぎだす。低い視点から岸を眺めるので、それなりの風情はあるが、乗船賃1000円は中国にしては高すぎる。承知で乗ったのだから文句は言えないが。

2番目のポイントは望呉橋だ。太鼓形で中央が高くなっている。ここで西施が送られていく先の呉を望んだという。橋は最近の物、石積はいい加減で見えないところはコンクリートで固めている。紀元前500年頃の話だからオリジナルのものが残っていないのは当然だが、観光用の橋なら、それはそれで尤もらしく作れば良いのに。

望呉橋のあと屯渓まで一日中バスだ。前半は国道で中央分離帯もある。分離帯には夾竹桃とムクゲが植えてある。花がポチポチ付いている。前回上海周辺を訪問した際には、道路にも民家の庭先にも花は皆無だった。しかし今回は、農家にはカンナの花が多く見られた。農民の生活も花を楽しむレベルに達しつつある様だ。勿論、日本や東南アジアの農家の花に比べると全然少ない。聊斎志異の世界は何時還ってくるのか。花の精が夢に出てくるにはまだ半世紀はかかりそうだ。

さて次は黄山だが、とにかく雨と霧にたたられた。ロープウェイからも山肌が見えない。翌日の奇岩峯群一周時もなにも見えない。冒頭添付の写真はパンフレットからのもの。残念至極だ。黄山の近くはお茶の名産地。茶の名産地は、中国の武夷山や凍頂山、またインドのアッサム地方など、多雨、多霧で有名だ、黄山もその類らしい。秋晴れ以外のタイミングを狙うのは賢くないと言う。それを早く言え! この日は意味もなく1800メートル級の峯群を徘徊した。

途中、光明頂、飛来石、気象台、丹霞峯等の名前がついている。また名松として黒虎松、夫婦松がある。断崖の松の枝はいずれも先下がりで風格がある。当日の夜は黄山山頂ホテル泊まり。翌日のご来光も雨で見えず。

李白は黄山に来て、「龍は驚きて敢て水中に臥せず、猿は嘯きて時に巌下の音を聞く」と詠っているが、この霧では龍も猿も見えない。リスが1匹チョロチョロしていただけ。

最終日は黄山を発って、屯渓市内に向かう。途中でバスが止まった。いつまでたっても動かない。なんと村長選挙で、村内の対抗する2派が道路上で大激論をしていると言うのだ。警察署長もお手上げだと言う。一体中国の共産主義体制はどうなっているのだ。こっちは観光時間が減るのでイライラしていたら、喧嘩に疲れたのか村民が道をあけ、やっと車の大行列が通りだした。

さて屯渓に行く途中、宏村なる鎭に立寄る。池、橋、町、門など鎭の要素が揃っている。河辺でもある。たしかに王禹称の詩「村行」の最終句「村橋 原樹 吾が郷に似たり」の情緒がある。しかし現在の村民は商売気を出して、昔無かった小屋台を構え、サッパリの雰囲気なのだ。

最後は屯渓老街、その中の昔のメインストリートだ。短い区間だが、文房具屋、薬種屋、(景徳鎮)磁器屋、八百屋、食堂と清時代の商業店舗は一式揃っている。値段は、日本人と見れば最低ローカル価格の10倍は吹っかける。それでも本物ならば日本で買うより安いらしい。骨董品もあったが、素人にはとても真贋の判別はつかない。

屯渓の後は上海に一泊、市内には出ず。翌朝一番で関空に帰着。

ツアーの案内では桃源郷に行くことになっていた。西逓村で中国人ガイドが「この辺りが桃源郷です」と言う。これはおかしい。陶潜の桃源郷記によると、武陵の人が河を登っていって桃源郷に行ったはずだ。武陵と言えば洞庭湖の辺だ。第一、今回の旅行で桃の木などは一本も見なかった。文句を言っても始まらないので黙っていた。帰って調べてみたが、確かに今回のコースの近くに、桃源とか桃花潭とかいう町はある。しかし、いわゆる桃源郷とは関係ないだろう。そもそも桃源郷は探しても二度と行けなかったはずだ。

土産品は、自分用に掛け軸と一針二葉の龍井茶、子供用に印肉、孫用に鳥笛、嫁用に真珠クリーム、友人用に胡麻の岩おこしを購入。大した金額ではなかった。一針二葉の茶といえば、昔日本では茶壷に入れて駕篭で江戸に運ばれたものだ。これだけは、まずまずの物だった。

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  1. 名無しのリーク より:

    香川県ルーちゃん餃子のフジフーヅはバイトにパワハラの末指切断の大けがを負わせた犯罪企業

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