貧乏エンジニア漫遊記

大手造船会社エンジニアが世界を股に掛けた、面白奮闘記です!

6.中近東編(2)

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貧乏エンジニア漫遊記
中 近 東 編 (2)

誰にでも路上で転倒した経験はあると思う。生来運動神経の鈍い私はよく転ぶ。海外で最初に転んだのはイランのテヘラン空港でのこと。先述した地中海編(1)の出張で、南回りで帰途についていた。1973年のクリスマスの日の深夜だ。当時この空港には構内バスがない。給油の時間待ちのため飛行機から待合室まで歩けという。飛行機内の只酒でデキ上がっていた私は、手荷物を下げ、ヒョコヒョコ歩いたのだ。地面に光っているところがある。何の気なしにその上を通った途端、大宙返りをうった。頭部を打撲し、ほとんど失神した。氷が光っていたのだ。私はイランは暑い国だと信じきっていたのである。後で調べると、北緯三六度、丁度東京と同じ緯度だ。高度は千メートル以上の高地なのだ。クリスマスに氷があって不思議はない。

私自身のイランの経験はこれだけなのだが、長期間滞在していた同僚のM君の話では、イランは筆舌に尽しがたい点があるという。以下はM君の経験談。例のイラン革命の余燼が燻っていた時、M君達は機械の据付指導に、遺跡で有名なペルセポリスの近くのシラズに行った。他の日本企業の派遣者は皆逃げ帰っていた時期である。奥地のことでホテルもなく、客先が紹介してくれた民家に下宿した。そこのオバさんのこと。彼女は新体制に不満を持っており、革命後生活は厳しくなったとしきりにコボしていた。M君達の持っていたドルは有り難かったらしい。ある日、M君が仕事から帰ると彼女の顔に涙の跡がある。わけを尋ねると、彼女はしばらくは口を閉ざしていたが、堰を切ったように泣き出した。聞くと、彼女には息子がいた。その息子は旧体制の政府軍側についていて半年前に銃殺された。今日、革命 軍側の兵士が来て「銃殺に要した銃弾代を出せ」といって、なけなしの金を巻き上げて行ったとのこと。M君には慰める言葉がなかったという。

イランはよく言えば文明の十字路、悪く言えば戦争の見本市だ。アレキサンダー、ジンギスカン、ティムールなどがこの地を徹底的に荒らしまわった。特にティムールは酷い。普通の征服者なら、奪った土地に家来をおき、そこの人民を支配しようとする。ティムールは違う。麦一粒にいたるまで収奪するか、降伏者全員を虐殺するのだ。完膚なきまでに叩きのめす。そのような歴史にもまれた国柄だけに、前記の兵士のような者もでてくるのだろう。反面、自分の味方には最大限の好意を示す。M君によると、どの客先にも、話のわからん人間はいるものだが、この客先の人達は、上下を問わず、人情味が極めて厚かったという。兵火の危険を冒してイランの奥地にとどまったM君達を味方とみなしたのだろう。

公開日:
最終更新日:2016/02/22


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